今日の関門海峡:今日もまた淡々と今を生きる シニアのブログ 

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秋の気配と夏の名残

南の海を台風16号が日本に向かって進みつつある。今のところは何ともないがかなり発達しそうで来週は太平洋側を襲いそうだ。
9月も残すところ5日ほどになった。月末にはコロナウイルスの緊急事態宣言も解除される見通しとなっている。無茶はしないが解除されることは嬉しい。2か所の体育設備も利用可能となるだろう。約1か月半の中止期間が解除されるのであれば嬉しい。幸い肩の痛みは左なので運動にはあまり差し支えない。一応1日から使えるとのことで予定には入れた。
厳しい夏で急に雨が多かったりしたが終わってからまた暑さ。それでも9月末に近くなれば秋の気配がしだした。1週間が速く、1か月も短い。そうしているうちにフウの葉も一部赤くなり始めた。近所の桜並木も一部に色変わりとなっている。
その一方で庭には夏の名残の緑の風船が風に揺れている。
今日の午後は唐戸へウオーキング。日差しは弱く時折雲に隠れていた。唐戸市場は休みだったがカモンワーフには多くの客がいたし、西側のあるかぽーとの駐車場にも多くの車が入っていた。
いつも定点画像。

ウオーキングでそれなりに頑張っているが来月からウオーキングから散歩に格下げしようと思う。違い・・歩くスピードを下げようとしているだけ。
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今日は月見(仲秋の名月)

今夜は仲秋の名月、満月になるのは8年ぶりとのこと。小さなカメラを持って唐戸に散歩。船着き場、海響館あたりは多くの人が散歩、ウオーキングをしていた。中には犬の散歩も。近頃の犬にはLEDで照明が付き交通事故にあわないような服装があることを初めて見た。
唐戸では月は対岸の門司港地区の山、ランドマークの建物より少し東側から上る。これが関門橋の少し東まで行けば海からの月の出が見られるだろう。今回壇ノ浦PAへ行くことも考えたが平坦な道を選んだ。方角的に関門橋と月の出は重ならない。
無理して西に歩いて関門橋と重ねるとこんな感じ。今夜は風があり気持ちよかったが、この岸壁には海からのウネリで一部湿ったところがあり、カメラを置く場所に苦労した。
いつかのように「はいからっと横丁」の観覧車の中を透けるように撮りたかったのだが小型のカメラでは無理だった。
それでも上手く撮れば月のウサギも見えるかも知れない。
月が上がるにつれて雲と重なることが多くなったので、観覧車の夜景に切り替え。この青色はきれいだ。他にもレインボーカラーも写真写りがいい。

9月も20日も過ぎ、夏の後片付けをしないといけないのだが未だ終わっていない。やったのは日除けの取り外し、一部の扇風機の収納くらいのものだ。夏の衣料の片づけは天気をみながらとなるだろう。
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台風14号来襲とフグの自動販売機

昨日17日は台風14号が来たためどこにも行けず。午後から雨が降り、夕方には風も強くなった。当初から中国上海沖で数日の迷走が伝えられていたが、その後東に向かってきた。その向け先がもっと北を通過する予報が流れて安心していたが外れた。
福岡福津あたりに上陸し、北九州の南側を横断して豊前あたりから瀬戸内海に抜けた様だ。
我が家も屋根に少し被害があった。
今朝は台風一過で青空が・・と期待したがそうとはならなかった。9時過ぎに壇ノ浦から唐戸へウオーキング。空の雲はこんな様子。台風が東に向かうにつれて雲も消え午後には青空が見え始め、夕方には空いっぱいに青空が拡大した。
これは壇ノ浦の交差点。昨夜はここから長府までの海沿いの9号線が通行止めになった模様。報道によれば、高速の関門橋は強風、国道2号の関門トンネルは事故で通行止め、おまけに唐戸ー門司港の連絡船も強風で運休。新幹線は午前中から、JRの門司-下関も停止していたので九州との連絡は一時全停止だった模様。こんな時は市内の国道で渋滞するのだが家から出ていないのでよくわからない。
この画像は定点のいつもの壇ノ浦漁港。
唐戸市場の活き活き馬関街の「すし店」は今月末まで中止のようだが普通の店は営業していた。その唐戸市場の中で面白いものを見つけた。
この水産会社の自動販売機だ。自販機の壁面にフグのイラストがある。
そう自販機はフグの自販機だ。冷凍食品としてフグ鍋、ふぐ刺し、唐揚げ、それに自分で刺身にできるみがき、磨きまで販売されていた。トラフグ刺身、皮つき¥1000とあったので買いたかったがウオーキング中で財布を持たなかったので諦めた。刺身を急速冷凍したものなので、そのまま常温で解凍すればすぐ食べられるとのこと。包装もアルミの保冷バッグに入れられているようだ。

体があちこち悲鳴を上げている。左肩腱板断裂。肩のリハビリ体操もやると痛いので今は休んで何もしていない。左足の脛と右尻筋肉痛は消えては再発の繰り返し。歩けば痛いのを忘れるので1時間ほどトレッドミルを使用。
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小さな神社の秋の例大祭

今日12日は地区の小さな神社の秋季例大祭。先週5日は皆で境内の掃除で今日が本番。夏の祭りもあったが、昨年と同じく今年もコロナ禍の関係で神事のみで済ませた。今回の秋の例大祭もまた昨年と同じく子供たちの神輿や、境内での福引等も中止で神事と町内の御神幸のみが行われた。参加者も少なくしてマスク必須、距離を取っての実施。やはり伝統行事は規模を小さくしても継続が大切かな・・と思う。
神事は神職によってつつがなく取りおおなわれた。30人ほどの参加者も大祓詞(おおはらえのことば)を唱え、順に玉串をささげる。
神事が終わると町内へのご神幸が始まる。町内を一周するのに2時間ほど。この画像は江戸時代の狭い一方通行の街道筋を小さな行列が進む様子。
地区のまつりの御神幸は街角で地区の人たちへのお祓い。
こちらの街角でも地区の人が集まってお祓いを受ける。このご神幸ではこのような接待所が10か所設けられお茶等の飲み物が提供される。
祭りでは事前に道路使用等の許可をとる必要があるらしい。一番大変で危ないのは大通りを進む時。

コロナウイルスの拡大により多くの施設が閉鎖されたり、行事も中止となっている。私自身の関係でも、体育施設がコロナウイルスの集団接種会場になったために使用中止となり、他の施設も9月12日までの緊急事態宣言の期間利用中止となり、今度は9月末まで延期になり使えない状態となっている。早い感染の終息を願う。


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海峡の秋の気配を探しに

9月の声を聞いたらそれなりに秋らしくなった。暑くても我慢できる暑さだ。午前中の10時過ぎに門司港に出かけた。いつも地元の人が手入れしているお花畑の花も秋らしくなったのを期待した。
これはケイトウの種類、セロシアと言うそうだ。
キバナコスモスもある。普通のピンクのコスモスはまだ蕾でもう少し時間が必要だ。
夏の名残のひまわりも元気。海沿いの道には彼岸花も大きな蕾を持ち上げていた。ここでは後数日で咲くだろう。他の地区ではすでに赤く咲いているのが見られた・
いつもの定点の画像。今日の天気はこんな大きな雲が流れていた。海流は東から西へとかなり速かった。
同じ位置で西を向くとこんな雲の様子。

体のあちこちが悲鳴を上げている。今気になっているのは尻の筋肉痛。明らかに腰ではなくて筋肉のようだ。歩けば治る厄介者。
午後ドラッグストアーでサリチル酸メチルの一番含有量の多い軟膏を買ってきて風呂上りにマッサージするように塗り込んだ。メントールも入っているので香りもいいし、治ったような気がするが効果はどうだろう。
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今日の関門海峡

9月になっても天気は安定しない。世の中もやっとオリンピックとパラリンピックが終わって落ち着きそうだと思ったが、政治の世界の争いごとがありこちらも安定しない。それでも夏の暑さが去っただけでもうれしい。それともう一つ嬉しいことは東京都でコロナウイルスの新規発生が1か月半ぶりに1000人を切ったこと。この調子でもう少し続けよう。
今日は昼前に唐戸方面へウオーキング。東の空に雲が多かったがやがて青空も広がった。形は秋の雲に見えるがまだ早そうだ。
門司港への連絡船の唐戸桟橋。いつもと同じくコンビニのテラス席でコーヒーを飲みながらボーっと桟橋を眺めていた。唐戸市場の週末の活き活き馬関街も休み、海響館も休み。コロナの影響でもう少し休みかも。なぜか地元の噂では駅近くの居酒屋は北九州の人で混んでいるとか、パチンコ屋は福岡、北九州ナンバーの車が多いとか聞いた。まあ、対岸で2km程度だから。
今日は赤間神宮の屋根の鴟尾(しび)。あまりにゴールド色が目立ったので。参拝客は殆どいなかった。これも自粛の影響。
こちらは定点の壇ノ浦漁港。最初にここを訪れたのだが、東の空はこのような曇り空だった。1時間もしたら頭上に青空。

嫌な話: 体の異常が通常になってしまった。今月再度レントゲン、MRI検査。医師からの今回の説明は「左肩腱板断裂」。

自然治癒なし、保存療法による治療か手術による治療
保存療法・・痛みを和らげる。 手術・・骨に穴をあけてここと腱板を繋ぐ

幸い肩が上がらない、回らない、力が入らないとの症状がなく、一部の位置での痛みだけなのと、その上野球のピッチャーとかではないので、「手術はしない」。
・・・とすると痛みを和らげるのみ。つまり痛みと付き合えということ。
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自己紹介

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団塊世代のシニアです。静岡に生まれ,育ちましたが、その後千葉に40年以上も住んで、千葉と東京で働き、2011年に本州の西端に流れ着きました。毎日の散歩道が壇ノ浦周辺ですので海峡近辺の様子を時々書きます。どんな行事があったのか、どんな花が咲いていたのか・・と後で振り返るための私自身のLogです。

I am a retired one of Baby-boomer generation. Born in Shizuoka City and grown up there. After leaving hometown I lived in Chiba and worked in Tokyo area more than 40 years. After retirement I moved to the western end of Honshu,Japan in 2011.

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