今日の関門海峡:今日もまた淡々と今を生きる シニアのブログ 

Pages

About

静かに酒を 獺祭磨き二割三分

いろんな言葉を捜しながら日々を過ごしている。
今日は正月用にとやっと手に入れた酒の封を切ってしまった。前回は獺祭の焼酎であったが今回は磨き二割三分という本物。名前だけは知っていたが、味をたしなむほどの舌を持っていないので、私の評価は何とも言いようがない。雑味を除くために、米を磨くとあるが良く考えれば中心を残すのだろう。そして遠心分離とある。今まではモロミを絞っていたような・・・・。
ただ話の種に名の知れた酒を飲んだにすぎないなんて、なんともったいないことか。
酒好きなあの人にあげればもっと喜んで貰えたかも。
酔うためだけに飲む私には贅沢だ。りんごともものチューハイが妥当なところ。
酒を飲んで酔うと悲しみや苦しみが倍増される。先日送られた元の職場のOB会の会報の訃報欄に10名近くのかっての同僚の名前を見るのはつらい。仕事上で無理ばかりお願いした先輩や同僚。
明日は名簿に私の名。
Share:

最悪の年末 病名宣告

世の中はクリスマス、私はそれどころではありません。
先般同年代の俳優が背中が痛いとの事で大動脈破裂で亡くなりましたので、背中の痛さが気になっていた私も検査を受けました。そして12月7日に初めて聞いた名前の指定難病との宣告を受け、気持ちの整理が付かずここしばらく立ち上がれませんでした。

宣告された病名は***
1.概要
        ---多くが30歳前の若年者に発症し
2.原因
        ---不明であるが                      ---免疫異常が生じた結果、発症      
3.症状
        ---腰背部痛や殿部痛が初発症状
4.治療法
根治療法はなく、治療は、薬物療法および各種物理療法・運動療法などの対症療法に終始する。

5.予後
病状は数十年にわたり徐々に進行し、広範囲の激しい疼痛に加え、脊椎や四肢関節の運動制限により日常生活動作は著しく制限されるようになる。一般人より平均余命は短い。
最初にショックを受けましたので再度別の国立の医療機関で診断を受けました。結果は「***」とは判定できないとの事でした。喜んでいいのかそれも複雑です。両方の医師の診断も信じられなくなります。元々そんな難病にも指定される病気の宣告を簡単に一人の医師の1回の診断で口にするのもおかしいし、病院の部門全体の医師の意見集約などないのか?と不思議に思っていました。

専門医のいる東京まで出かけてもよいのですが、病名を確定しても治療法がなければ意味のないことです。仮に別の病名を言われても多分最初の病名が頭からは離れないでしょう。調べると東京都だけが難病指定での医療費の補助ができるようです。しかしそれも疼痛に対する対症療法、つまり痛み止めの高額医療費の補助です。
若年で発生し、徐々に進行・・とありますので、現在の私が発生後30年の進行状態であれば,痛みはあるものの日常生活がそれほど制限されてはいないのでどうにかなります。問題は今後の進行状況です。

ネットで面白いものを見つけました。病名でググっても日本語では検査方法とか悪い話しかヒットしないのですが、youtubeに病名を漢字入力すると中国語で多くヒットしました。中国語は読めないので、専門的なことは除外して運動療法のリハビリ的な動画を多く見つけダウンロードしました。現在の体の可動領域を確保する運動療法・・これを主体にやるのと、非医師的な療法の鍼、灸、整体、整骨、カイロプラクティックに頼るしかないようです。
さあ、いつまでも泣いていても直らないから、気を取り直してやるしかない。
Share:

2015紅葉

明日の天気予報がよくないので、今日で終わりかと思い、午後ちょっとカメラを持って出かけてみた。今年はどこも色が悪いようだと言っていた人がいたが、あちこち出かけていないのでわからない。
こんな絵が好きなんです。nikonのcapture nx2でrawを現像するとき、-0.3程度の補正です。もっと下げると黒い背景に赤の葉だけになります。通常コントラストを少し上げたり、ハイライトを下げたり、シャドーを上げたりしますが、nikonではピクチャーコントロール機能がカメラに備わっているので、スタンダード、風景、ビビッドなどの中で風景を選択するとメリハリが利いた画像となります。
紅葉の色と朱色の比較での画像です。有名地と違い小さな町では全体が紅葉で覆われることがないので、少ない木々の紅葉を楽しむしかありません。
黄色の葉の枝。
この上の1枚と下の3枚は赤い葉と黄色の葉の比較をしようと思って載せたものです。スタンダードで撮影し、露出もAUTOのままで、RAWをそのままJPEGに変換したものです。
これが赤い葉。
黄色はこんな状態。
これは赤ベースの枝。黄色から赤に変わる木と最初から赤の枝があるみたい。
やはり赤系統がいい。

memo:急に数年後とかを意識しだした。進行具合を聞きたいのだが、どの病院がいいのだろうか?
それというのも先の病院がちょっと信じられないから。。
Share:

2015紅葉 長府

朝から晴れ上がったので長府に出かけてみた。長府毛利邸、古江小路、壇具川、功山寺と一回り。長府毛利邸の庭園はいつものとおり、紅葉はしているが光の具合が悪い。門の右側の白壁の裏が見ごろから終わりへ。古江小路も終わりに近い。壇具側沿いは下流はほぼ終了。
功山寺は山門がきれいになっている。博物館側はほぼ終わり。
明日もよい天気になりそうだからちょっと出かけて見よう。
手前の赤の色を基準にしたもの。
黄色側を基準にしたもの
壇具川沿いの赤と黄色
修復工事が完了してからはじめての紅葉風景
古江小路の様子。
この全体の中からきれいな葉と背景を選び出す。
背景を小さな丸にして、色がこぼれるように。
もう一方、望遠で最大にして背景を大きくぼかす。

memo:調べたらいろいろありすぎた。30歳前後の若年期に発症とあった、だから今なぜ私が・・という疑問。北九州に専門医がいるみたい。でも私にできることはない。
Share:

今日も関門橋の夕陽

久しぶりに晴れ上がって小春日和の1日となった。天気予報では明日まで同じような天気が続くと言うことなので明日はカメラを持って長府に紅葉を撮りに出掛けようと思う。紅葉する前に落葉しているかもしれない。今夜はたぶん眠れないから、明日行く元気があればいいのだが。
出掛けた後の帰りに夕陽を追ってみた。場所は関門橋の東側、長府のショッピングセンターの裏。
夕陽は火の山に沈んでいった。この場所では冬至になっても夕陽が橋の上には落ちないことが判明。橋の中央に沈む夕陽の場所はちょっと遠く小野田市の津布田あたりとなる。距離的に離れているので私の持っている望遠でも難しいかもしれない。

memo:病院で医師より体の悪い原因の説明があった。老化ではなく病気とのこと。病名は****、原因不明、治療法は現在なし。対症療法で苦痛を和らげるのみ。
ショックをうけて落ち着かなくて理解できなく家に帰ってネットで調べたら、発症率がすごく低く、患者数数は10万人当たり6~40人程度で指定難病になっているようだ。
本当にその病気なのか信じられない。もっと調べないといけない。取り敢えずドクターショッピングをせざるを得ない。でも知ったらもっと怖いことになるかもしれない。
Share:

やっと皇帝ダリヤが咲いた

ここしばらくは気温が高めで安心していたところに急に冬が来たので、この急激な温度変化に体が追いつかなく苦しめられた。昨日も北日本では日本海で低気圧が発達して吹雪いていた。今日の関東は日差しがある。当地は風が強く厚い雲の流れも速い。典型的な冬空。天気予報でも完全に太陽が丸出しになっている絵がない。
今日の昼に一時太陽が顔を出したのですぐ200ミリを持ち出した。庭の隅に植えた皇帝ダリヤが咲きだしてやっと写真に撮れることになった。これは3m以上と背が高いから青空でないと表現が難しい。背景に青空と白い雲だけれど風が強かったので葉が煽られている。

この皇帝ダリヤは夏に背が伸びなくてどうしたものか心配していた。茎は太く中は空洞になっていてかなり水を吸い上げていた。2m近くなると支柱どころではないので、両方から紐で結んで支えていた。いまここで咲き出したのを見ると待った甲斐があったというのが正直な気持ち。晩秋にはサザンカくらいしか咲かないのでちょっと気分転換になる。今までの風船唐綿は繁殖力が強すぎて持て余していたから今年はこれに変えた。来年まで残そうか。
今年は紅葉を見に行っていない。行きたいと思いつつ天気が悪いのでそのまま。通常であれば12月初めが長府、東行庵あたりなのだが今年は色が悪いかもしれない。
11月23日から飯塚市の麻生大浦荘が一般公開されたので行って見たが紅葉はまだまだでそのうち公開が終わってしまった。写真はあの麻生一族の大浦荘の一部。麻生グループのクラブとして利用されていると言うから我々がかって大阪でグループの本家施設を利用していたものと同じようなものみたいだ。
Share:

今日の関門海峡の夕陽

ここしばらく言いようのない不調。紅葉どころではない。12月最初の日、晴れたので冬支度を済ませ、夕方和布刈へ歩いた。今日は体をイジメ疲れて酒を飲んで酔って寝る・・そんな予定。
大陸のPM2.5,大気の汚れがそのままこちらに流れてくると大気中の微粒子に光があたり丸く見える。太陽の位置が観覧車の左側まで来た。朝太陽を見るのが8時過ぎ、夕方は5時過ぎに日没となる。この写真コンデジでf8まで絞ってこれだけ。観覧車にはピントが合っているのだが。
広角でこんな感じ。
Share:

Translate

自己紹介

自分の写真
団塊世代のシニアです。静岡に生まれ,育ちましたが、その後千葉に40年以上も住んで、千葉と東京で働き、2011年に本州の西端に流れ着きました。毎日の散歩道が壇ノ浦周辺ですので海峡近辺の様子を時々書きます。どんな行事があったのか、どんな花が咲いていたのか・・と後で振り返るための私自身のLogです。

I am a retired one of Baby-boomer generation. Born in Shizuoka City and grown up there. After leaving hometown I lived in Chiba and worked in Tokyo area more than 40 years. After retirement I moved to the western end of Honshu,Japan in 2011.

人気の投稿

ブログ アーカイブ

ページビューの合計