今日の関門海峡:今日もまた淡々と今を生きる シニアのブログ 

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空は晴れたけれど

今日は昨日の大雨も上がり太陽が顔を出し暖かな光を送られた。こんな日は嬉しいもので、北側も含めすべての窓を開け放ち、しばらくの間、数日来の室内の湿気を追い払った。乾いたように見えても朝には窓ガラスが結露することがあったからだ。

体は相変わらず良くない。12月の体全体の痛みより、今は風邪を引いたことによる喉の痛み。痛みとはいいながらほぼ完治したと思っているが、時折、鼻水や痰に血が絡む。月曜日まで様子待ち。腰は難しい。夕方和布刈まで歩いたのだが、ゆっくりと姿勢を正しながら歩いても、全体が重い。時々足のおろし方を考えてしまうほど。骨に異常がないのだから、筋肉等が傷ついているにだからそのまましばらく修復期間にすればよいのに、もんだり、さすったりして何度も痛めているようだ。
夕方無理して和布刈まで足を運ぶ。保温を十分にしていったので、寒さは感じなかったのだが夕陽は期待はずれ。
行く時は雲の間より・・と期待したのだが残念。
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ここしばらくひどい日々が続いている

1日目は入浴時に温まらいな・・という感じだった。
翌日は十分暖まろうと思って、長めに湯に浸かっていたら、貧血か急に吐き気がして入浴は中止。その晩には喉が痛くなり風邪の前兆が現れた。
喉の痛み、鼻水が出て汗をかいたら治るのがいつものパターンだったのだが、今回は喉の痛みで咳をすると、腰痛になってしまった。喉に絡んで痰は出なし、腰が痛いわでひどい目にあってしまった。喉の痛みは食欲を失わせる。そのうち、腰の痛さが本格化して、こたつや。布団から立ち上がれない事態となった。立ち上がるときにどこか一部に負担がかかると強烈な痛みを伴う。両手で全体重を支えながら腰を持ち上げようとするだけなのになぜだろう。
前回の腰痛は温めることと電気治療で治ったので今回も期待している。
昨日今日と寒気が入り、九州地区は雪。我が家の近所の道路も真っ白になっている。TVでは朝から雪の情報、交通機関の情報ばかり。ずっと見ていると何ら新しい物が加えられていない事に気づく。
庭も真っ白になっている。雪は舞うのだが積もると言うほどではない。今夜もっと冷えて明日の朝はどうなんだろう。
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今日の関門海峡  強風と雪

今朝は当地ではこの冬一番の寒さとなった。昨日からの荒れた天気で強風が吹き荒れた。多分20mくらいはあっただろう。布団の中に入っても風の音が気になっていた。朝起きてみると風は変わらず強いまま、近所の家の屋根には白い雪。積もったというより白く残っていたという感じ。 昼間時折太陽が顔を出すがすぐ雲の中へ。昼過ぎにでかけた時、風と雪が一番ひどかったらしく、舗装道路の上を白い雪が地表すれすれに波のように動いていた。それでも気温が高いため積もることはなかった。こんな天気では元気もないのになお気も滅入ってしまう。
さあ、今夜はU23手倉森JAPAN, さあ勝って元気をくれ。
今日3時過ぎの関門橋の写真。これでも明るくなった時のもの。門司あたりのところに光の差し込む様子が見える。
海面で波が白く立ち上がっていたので写真に写るかな・・と思ってやってみたのだが対岸に少し見えるだけだった。残念。
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気功って効くのかな?

12月に背中が痛くて整体に申し込んだら、「予約が一杯で年内は無理で20日後になります」との事。それでも申し込んで先日行ってきた。実はここは昨年の冬も腰が痛くて申し込んだ。昨年は申し込んで、予約日を待つ間に痛みがなくなりキャンセルした。

今回申し込んだ時はずっと右の肩甲骨の下あたりが痛くて右側に寝返りがうてなくて藁をもすがる気持ちだった。今回はお正月でジムにも行かず、運動もせずにコタツに入りっぱなしの日々の静養で痛みが殆ど減少した。
無駄になると思いつつキャンセルせずに出掛けた。最初手をごにゃごにゃしていたので、私も同じようにし始めたら座っていろとの事。結果右半身が、左に比べて1/10の気の流れのとの判定。気功とは知らなかった。右膝の痛み、両足のふくらはぎを触られた時痛みを訴えたら、これもひとつの症状との事。肩甲骨のところは肝臓の未病。他には背骨、腰まわりを触って動かし体の矯正をしたとのこと。

結果は良くわからないが、椅子に座って片方の足を浮かせた状態で膝を下に押したら、左は踏ん張れたが、右はそのまま床についてしまった。治療後は右も踏ん張れたのが不思議だ。効果の実感としては体の前屈が楽になったかな?、良くわからない。ネットで気功を調べると遠隔治療があったり、気で後ろに押し倒されたり、回転したり何でもある。信ずる人は救われる・・とのことかもしれない。効果の実感が明確でないので次回はパスか半年後。約20分5000円なり。


年末に予定していた庭木の枝払いがやっと終わった。昨日今日と枯れていたツツジの大木を根本から切り、根を堀り出した。
直径約1m,深さ50cmくらいまで掘ってやっと根を動かすことができた。写真は掘り出した時の様子。
ここにシャクナゲ、コデマリ等他の木を植えることを考えたが、最終的には紅しだれ桜を移植した。今はちょうど冬だから成長が一時休止状態にあり、すぐに活発になるので、間に合って根付くかなと心配している。この桜は一昨年購入して植えたものを約1m移動。
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今日の関門海峡: 唐戸

昨日に続いて晴れ上がったので昼過ぎに買い物がてらカメラを持って唐戸に向かう。
買い物と言っても、自分用毎日の朝の食パン。いつものパスコの8枚切り。これはなかなか売っていないので1店しか知らない。多分買うのは私と誰かもう一人くらい。西では8枚などを買うとバカにされるが、関東出身にはちょうどいいのだ。トーストなら4-5枚であろうが、トーストは焼いたあと粉が落ちるのでいやだ。いつもは自分で作るサンドイッチなので、6枚では厚すぎ、10枚では薄すぎる。8枚が売り切れの時は頭が混乱する。
今日は空に白い筋状の雲が広がっていた。冬にはちょっと場違いな秋の空のような雲と青空。しかい3時半頃には一面灰色の雲に覆われてしまった。
唐戸市場で気になったこと。この写真に見えるように唐戸市場の文字の右に当市の青いシンボルマークが描かれていた。いつから加わったのだろう。私も一部加工して黙って使っているがインパクトはある。
はいからっと横丁の乗り物の写真を撮っていたらちょうどトーマスの光の当たり具合が良かったのでアンパンマンとどらえもんの間よりパチッと1枚。子供が小さいころ電車が好きだったので絵本を何回読んだことか、おもちゃもいろいろ買った。私でさえも、トーマスとヒロ、ジェームスを見に金谷に行きたいくらいだ。動かなくてもヒロが復活した時は嬉しかった。パーシーも加わったんだっけ?

見つけた。

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年初からの訃報

新年早々、ある人が12月25日に亡くなったとの訃報を聞いた。
一般人の私は面識があるわけでもないがなぜか好きだった人。

私のこのblogのlinkにも加えてあるその人の名は「加島祥造」。この名前を初めて知ったのは、早川書房のウィリアム フォークナーの「8月の光」の翻訳。近頃は伊那に住んで日本語の本を出していた。手許に「求めない」「伊那谷の老子」「タオと谷の老子」が残っている。そこのlinkにもある、Tao Te Chingは「道徳経」、加島祥造さんが老子の道徳経を英訳で理解を深めたとのことで、私もELLEN M CHENのTao Te Chingを買って手元にある。これで勉強したものだった。
そんな人が亡くなってしまった。
1月も10日過ぎてしまった。元旦が晴れたほかは青空と太陽が輝かなかったようだ。元気もないし、天気も悪かったこともあり殆ど何もしなかった。今日は久しぶりに太陽が顔を出したので、夕方和布刈に出かけた。布刈に沈む夕陽は5時過ぎになっていた。
関門橋の下の工事が完成してから歩いたのは今回が初めて。この空き地に車が入り、駐車場になったら便利だろうと思っていたが、そのまま舗装して広い遊歩道になっていた。道路沿いの茶色の部分は自転車専用。もったいないほど広く緑地にもならなかった。
橋の東側に「壇ノ浦コースト」との名標があった。今回の完成した護岸工事部分はこう呼ばれるのだそうだ。
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2016初詣は赤間神宮と亀山八幡宮

元日は晴れ渡って暖かなお正月となった。
私も今年も元気な日々を・・・。
しかし世間一般には大きな転機が訪れそうな予感。その心構え、準備だけは整えておこう。
朝10時前に家族で赤間神宮と亀山八幡宮に初詣。
近頃は神社仏閣では願い事をやめて、今日までの感謝を伝えることにしている。
60年以上も「ーーして下さい」とお願いばかりだったので、もう「ありがとう」に変えたと言ったところ。
赤間神宮は時間がちょっと早かったのか人出はそれほど多くなかった。それでも駐車場待ちの車列は続いていたし、初詣の観光バスも入っていた。亀山八幡宮は入り口の階段が人の列で下の国道まで並んでいた。
赤間神宮の水天門の左側にはいつもと同じように大きな絵馬が掛けられていた。
いつもと同じく線が細い絵である。

初詣が終わると、また普通の日々が繰り返される。
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自己紹介

自分の写真
団塊世代のシニアです。静岡に生まれ,育ちましたが、その後千葉に40年以上も住んで、千葉と東京で働き、2011年に本州の西端に流れ着きました。毎日の散歩道が壇ノ浦周辺ですので海峡近辺の様子を時々書きます。どんな行事があったのか、どんな花が咲いていたのか・・と後で振り返るための私自身のLogです。

I am a retired one of Baby-boomer generation. Born in Shizuoka City and grown up there. After leaving hometown I lived in Chiba and worked in Tokyo area more than 40 years. After retirement I moved to the western end of Honshu,Japan in 2011.

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