今日の関門海峡:今日もまた淡々と今を生きる シニアのブログ 

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2017紅葉 秋の色

今日28日は小春日和の暖かな日となった。こんな日は日差しが差し込む部屋でこたつに入りながらのんびり。昼頃小さなカメラを持って公園や近所をめぐり、夕方にもカメラを持って住吉神社へ。そんな中で秋の色を集めてみた。
住吉神社の紅葉の赤。今日の午後の撮影。ここは他と違って葉の形が葉先がちじれたり、傷んだりしていないので気に入っている。山門の紅葉もきれいだが光の当たる向きが悪い、東側にも楓の木があるが夕方は日陰になってしまって色がくすんで見える。
塀を這っているいる蔦。蔦も種類があって大きな葉のものと小さな葉のものがある。これは大きな葉に属するのだろうか。それとも栄養があるから大きくなるのか。小さな数センチの葉が連なる様も好きな風景の一つ。これも強い夕陽にあたると一層色が鮮やかになる。 こんな色も好きだ。
風に吹き寄せられた桜の落ち葉。赤くなった葉はきれいなものだが落ち葉の掃除も大変だ。
最後まで頑張っている柿の葉。この色合いも好き。
青空の下のプラタナス。プラタナスが黄色に輝く時間は短い。ちょっと逃すと枝に付いたまま、黄色から茶色になってしまう。この大きな葉が落ちて風に舞うと掃除が大変だ。道路に散って風に吹かれて歩道のヘリを流れて駐車場の入り口などの段差がないところから歩道に乗り上げ、家に入ってくる。
イチョウの木もあったがちょうど日陰に入っていたので輝きがなく今回は写真は省略。他には欅の木の色が変わってきたがこちらは茶色になってしまう。
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今日は今年最後のJリーグ観戦

今日は今年最後のJリーグの観戦に北九州まで出かけた。今年のレノファは先週で終了、監督以下の選手の退任が発表されていた。今日は北九州でギラヴァンツの最後のホームゲームがあり出かけた。曇り空ではあったが、試合開始は14時なので、10時過ぎウオーキングを兼ねて人道トンネルから、門司港駅まで歩いた。自宅から1時間で門司レトロエリアに到着。今日はレトロマラソンとかで和布刈でトンネルを出たところで走者を見かけた。最終走者に少し遅れるくらいで門司港についた。
今日の北九州ギラヴァンツの相手はアスルクラロ沼津。中山と伊藤輝が所属だが見かけなかった。試合は前半沼津の攻勢、後半北九州の攻勢であったが、結果は得点が入らず引き分け。
画像は選手入場の様子。
いつものゴール裏で見るキーパーの様子。
これで今年のサッカーの観戦は終了だが、大きな問題が残っている。
J1の贔屓チーム、エスパルスに勝ちがないのだ。後半の最終に得点を与え、負けて勝ち点1すら取れずに、降格争いで生き残りをかけた試合が最終戦に持ち越された。このままでは来年レノファと・・・。
和布刈から門司港駅に向かって歩いているときに、歩道の横になぜか陶器の小さな人形たちを見つける。映画で見るような人形たちだ。
赤く染まった落ち葉が主体か、ディズニーの人形か、それともツワブキか判断に苦しんだところ。私には落ち葉の中の人形が面白くて撮影したもの。
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2017紅葉 豊田湖畔

ここ3日間、お客さんの案内であちこち出かけた。21日は角島大橋から、元乃隅稲成神社へ出かけた。稲荷神社ではお客さんが高い場所のさい銭箱にホールインワンで入れて幸先が良いと喜んでいた。この稲荷神社では大型バス2台で来ていた県知事の一行と出会う。あの狭い道を大型バスとは大変だ。昼食をどこにしようと考えて話のタネにプーチンと会談した所、湯元温泉の大谷山荘のレストラン萩にしようと出かけたら、本日は貸し切りで一般客は受け付けていないとのこと。もしかしたらあのグループか邪推。昼食の場所を探しに道を戻り長門から仙崎に向かった。最後に新しくできたセンザキッチンを探し当てた。あいにくイカが入荷していないとのことであったが、30分ほと待って魚を食べることができた。ここは萩のシーマートの長門版と言ったところか。昨日は雨の中、長府近辺を案内。雨の中の紅葉もいいものだと実感する。新幹線に乗るので門司港駅まで送って別れる。
今日は風が強く大きな曇が流れて冷たかったが午後カメラを持って深坂の紅葉谷というところに出かけたが、降りて来た人に様子をきいたらよくなかったようなので登らずにすぐ離れた。雲の様子から前に行ったことのある豊田湖に出かけた。ほとんど前回と同じ状態。強い風の中三脚をセットして雲と光の状態をひたすら待つ。上の画像は遠景が光が当たらないで湖畔だけに光が当たった状態。遠景の山全体に光があたると、これだけの風景では味気ないものになるのでコントラストを強調と言ったところ。
一方こちらは風の足跡と雲の影。
実際対岸の小枝が揺れているのが見えるほどの風だった。湖面を渡る風が影を作っている。遠景の山全体に雲のまだら模様の影。
こちらでは全山紅葉などと言うところには行けないのでこれくらいで我慢か、数本の木の枝で我慢。
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2017紅葉 長府

強い風の中で紅葉を探して。
漏れこむ光を受けて。
長府庭園 全体像。
庭園の内部の様子。
差し込む光を探して。
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今日の関門海峡: 唐戸の夜景と関門海峡キャンドルナイト2017

午後から大きな雲の流れの中に時折太陽が差し込む状態になり、夕方にはほぼ空が明るくなった。
「関門海峡キャンドルナイト2017」が昨日と今日の2日間にわたり開催されていたので夜景撮影をかねて様子を見に唐戸に出かけた。一昨年長府に出かけたが、今回は門司と唐戸が同じ日で長府は来週の25,26日の予定。門司地区が盛大に行われていた模様。ゆめタワー地区も開催されていたが歩くのが大変だったので行かなかったし、キャンドルより夜景の撮影ばかりとなってしまった。
はいからっと横町の観覧車と海響館のイルカ。
旧英国領事館。強烈な照明で十分すぎるほどの照度。ここでは裏手の展示スペースでキャンドルが置かれていた。
秋田商会の夜間照明。
南部郵便局の夜間照明。
亀山八幡宮の階段のキャンドルの様子。階段と上の本殿前と広場にキャンドルが置かれていた。一番目立ったのは牛乳パックの面を一部模様に切り取り中の光が見えるようにしてあった。他の照明をすべて消灯したらキャンドルだけの灯りになってもっと輝くだろうが階段では危なすぎる。実は東側の屋上を見学した後、帰りに段差でコケかけた。
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2017紅葉 長府

急に冷えだしたので冬支度を急ぐ。こたつを拡げたら出られなくなる。
夕方空が明るくなってきたので紅葉の様子見。明日は晴れるだろうから期待して出かけよう。
葉の色、グラデーション。光が差し込んでいなかったのでこれだけ。
12月初めまでが見頃。

メモ:夜電話あり、発見時がん末期だったとのこと。
ため息が出る。
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年賀欠礼はがき

泣き出したいほどの日々にまた悪い知らせが飛び込んできた。
千葉から年賀欠礼はがきが送られてきたのだ。差出人はかっての同僚の奥さん。
今年5月に亡くなったと書いてあった。急に寂しさがこみ上げてくると同時に懐かしかった日々が思い出された。年齢は彼が2つ上だった。高度成長の時代、工場で生産部門、販売部門、研究部門の調整業務担当をやっていた私の部署に研究部門からの異動でやってきて、私の担当していた製品の仕事を引き継いだ。彼は京大卒のバリバリのケミストだったから私の低能の仕事ぶりに驚いていただろうと思う。職場内の旅行や行事などの幹事を交代でしてあちこちに出かけ、職場はまとまっていたと思う。山仲間と尾瀬やあちこちの山にも出かけ、スキーにも行った。一番の思い出は奥さんと3人で黒部ダムから下の廊下を下って阿曽原、欅平、宇奈月まで行ったこと。
彼が東京に転勤になっても出張の折にはよく顔を合わせたし、私が東京勤務になってからもいろいろ教えていただいた。
私が山口に移る時も相談し、連絡先を知らせたたった3人のうちの一人だった。当地から東京に遊びに出かける時には事前に電話をして顔を合わせたりしていた。冬に当地からふぐの刺身を贈ったら喜んでくれた。奥さんの方が体が弱いと言っていたのに逆になってしまったようだ。
先週から私の調子も悪いのにかなりの衝撃だ。
本音で話ができる人が一人いなくなってしまった。
ささやかなお悔みの花を手配したが、世の中の理とはわかっていても複雑だ。
ただ時の過ぎ去るのを待つ。
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2017紅葉 西日に輝くモミジバフウ

ここしばらく元気がないのだけれど、季節だけは進んでゆく。
もう11月。この時期になると紅葉が気になりだす。近所の街路樹の桜の葉も色づき、風に葉が散っている。モミジバフウも同じく大きな葉が輝き、多くの葉が落とされて風に吹き寄せられるようになる。
このモミジバフウは光が当たらないとくすんだ赤色に見えるのだが、1日に1度だけ西日に当たると輝き始める。その色は昔油絵を描いた時、気にいってよく使った色、クリムソンレーキを思わせる。それに光が当たって輝くとカーマインだ。
CPLフィルターでも使って青空を強調出来たらよかったのに、残念ながら小さなカメラではそんな事ができない。

昨日の雨で、庭の大輪の菊が水を含んで自分の重さに耐えきれず折れてしまった。雨を避けて室内に避難しなかった私の落ち度だった。重さを分散する受け皿をつけなかったのも私の落ち度。それでも春先から、水をやり、成長を楽しみにして花を咲かせたらうれしかった。春先や夏なら、もう一度生きるすべもあろうが、もう輝けない。

人生の秋はやり直しがきかない。心が折れた今、つくづくそう思う。
でも落ち込んでばかりではいられない。明日は晴れるだろう。
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今日も関門海峡の夕陽

今日11月3日は文化の日の休日で良い天気。明日の土曜日と合わせて3連休となる。当地でも観光客が多く他県ナンバーの車が多く見られた。今度の日曜日(5日)が海峡マラソンが予定されているのでこれまた人が増えそう。海岸通りに通行規制がかかるので朝から山の方に逃げる予定にしている。
今日も夕方和布刈にウオーキングに出かけた。空の具合を見ながら夕焼けは期待できるかな・・と観潮台でぼんやりしていて、とりあえず登ってみようと思って和布刈りの第2展望台に上がった。いつものエレベーター出口から東側に回り込みプールの横の下りの自動車道を歩いて登る。ここは車は下りのみの一方通行である。かって近道をしようと思って林の中のハイキングの道を歩いたこともあったが、暗くて見えないので今日は登り下りとも自動車道。この画像は上から見た日没。ここでは九州の山(若松の石嶺山?あたり)に沈む。
広角に引くとこんな感じ。タワーの左側になるのは第2展望台が橋から少し南によっているから。
展望台からの俯瞰はこの通り。右に関門橋左に夢タワーとなる。この場所が関門橋の夜景撮影スポットとして知られている。ここの夜景はBLOGにあります:
 https://kanmon-strait-today.blogspot.jp/2012/03/today2.html
関門橋と今日の日没を入れてみるが全体的に霞がかかっているような感じですこし汚れた空。
次に今日の夕陽のBefore/After。
この最初の画像がエレベーターを上がって和布刈りについてからのBeforeの画像。この青空では汚れた霞が感じられないので上の展望台に上がれば夕陽がきれいになるかな・・と考えていた時。
こちらがAfterの画像。上の展望台で日没を確認してから大急ぎで道路を下って15分ほどで橋のたもとについた時の様子。頭上がもう少し色づくかと思ったのだが西がきれいだったので合格だが上に登らなくてもよかった。
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菊花香る

ここ数日秋晴れの良い天気。それにしても、とにかく月日の過ぎるのが速い。もう11月になってしまった。
今我が家では庭に置いたプランターと鉢植えの菊が大輪の花を咲かせている。2種類あるがそのうち国華酒杯 厚物ともう一つがい国華 天上花である。酒杯が黄色で大きく咲いている。春に苗を買ってから育てたのだが、三本仕立てにしようと思って新芽が大きくなってから、3つに分けるのを失敗して茎を折ってしまった。2本残ったものとその折れたものを挿し木にしたのが咲いているが挿し木にしたものが一番大きく育った。逆境に強いものが残ったかも。天上花は少しエンジ色が入ったものだが見頃はもう少し遅くなりそう。
当地に来てから大輪の菊を初めて育てたのだが、無理して3本仕立てにすることなく1本のまま丈夫に育てた方がいいように思った。小さなポット苗で300円ほどで買ったものがここまで育つとうれしいものである。今年のこの枝を挿し木にして来年も頑張ろう。でも雨風を避ける場所がないから玄関に入れて退避する状況なので多くは育てられない。
家人の他には誰も褒めてくれないから仏前に手向けることにしよう。
この左の小さいのも挿し木。これだけ大きくなると花の重みで茎が折れないように針金で作った輪台と言う円形の受け皿を使うということを初めて知った。専門店でないと手に入らないから今年はこのまま。支柱にしても花の丈に合わせるには長さの調整できるものがあるのだろう。
花弁が重なるようになっているのがこの菊の美しさなんだろう。
他に現在我が家で咲いている花は山茶花。これは蕾の時ピンク色になっているのだが咲き始めると白い花。これは初冬までの長い期間咲いている。この画像のように拡がらない前の小さなボールがかわいいものだ。
先日苗木を販売している店で2種類の花(花木)を見つけた。買おうか迷ったがまだそのまま。地植えでないと無理だろうから狭い庭ではその場所が思いつかない。日当たりがよくて邪魔にならないところ。大きめの鉢を買って当面を逃げたいのだが鉢は水やりに苦労するから考えあぐねている。売れ残って半額になったらあまり考えなくて済むかもしれない。
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自己紹介

自分の写真
団塊世代のシニアです。静岡に生まれ,育ちましたが、その後千葉に40年以上も住んで、千葉と東京で働き、2011年に本州の西端に流れ着きました。毎日の散歩道が壇ノ浦周辺ですので海峡近辺の様子を時々書きます。どんな行事があったのか、どんな花が咲いていたのか・・と後で振り返るための私自身のLogです。

I am a retired one of Baby-boomer generation. Born in Shizuoka City and grown up there. After leaving hometown I lived in Chiba and worked in Tokyo area more than 40 years. After retirement I moved to the western end of Honshu,Japan in 2011.

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