泣き出したいほどの日々にまた悪い知らせが飛び込んできた。
千葉から年賀欠礼はがきが送られてきたのだ。差出人はかっての同僚の奥さん。
今年5月に亡くなったと書いてあった。急に寂しさがこみ上げてくると同時に懐かしかった日々が思い出された。年齢は彼が2つ上だった。高度成長の時代、工場で生産部門、販売部門、研究部門の調整業務担当をやっていた私の部署に研究部門からの異動でやってきて、私の担当していた製品の仕事を引き継いだ。彼は京大卒のバリバリのケミストだったから私の低能の仕事ぶりに驚いていただろうと思う。職場内の旅行や行事などの幹事を交代でしてあちこちに出かけ、職場はまとまっていたと思う。山仲間と尾瀬やあちこちの山にも出かけ、スキーにも行った。一番の思い出は奥さんと3人で黒部ダムから下の廊下を下って阿曽原、欅平、宇奈月まで行ったこと。
彼が東京に転勤になっても出張の折にはよく顔を合わせたし、私が東京勤務になってからもいろいろ教えていただいた。
私が山口に移る時も相談し、連絡先を知らせたたった3人のうちの一人だった。当地から東京に遊びに出かける時には事前に電話をして顔を合わせたりしていた。冬に当地からふぐの刺身を贈ったら喜んでくれた。奥さんの方が体が弱いと言っていたのに逆になってしまったようだ。
先週から私の調子も悪いのにかなりの衝撃だ。
本音で話ができる人が一人いなくなってしまった。
ささやかなお悔みの花を手配したが、世の中の理とはわかっていても複雑だ。
ただ時の過ぎ去るのを待つ。
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