東京に住む先輩からの同報メールで元社長の訃報を受け取った。
私など一兵卒にとってそれほど多く話したり議論することも無かったが、いい印象を持っている。
初めて会ったのが東日本橋の社長室で赴任の挨拶の時、それから事務所は馬喰町、別の東日本橋と3ケ所ビルを引越ししたものだ。売り上げ100億、100人の会社であったけれど、私にとってはこの子会社で働いていた時が一番充実していたような気がするからだ。その後会社が吸収合併されて解散し、私の仕事が無くなり悲惨な会社生活になったのでなお一層感じたのかもしれない。
3社以上の吸収、合併、部門独立と大きな組織変更のあった業界で、親会社との交渉など私など知る由もないがそれなりの苦労があったと思う。私自身は親会社の人間に分類されるが、彼の下で、異なる風土、土壌、文化の会社で育った人々と知り合い、働けたことが今の私の財産になっている。
最後、親会社に吸収合併される解散直前、すべてを親会社にとられる前に社員全員に感謝し還元したいと、北海道から九州までの従業員全員が沖縄に集まり楽しかった一時を過ごした時を思い出した。この会社時代のアルバムをめくると、伊豆大島、伊豆高原、八ヶ岳等の社員旅行があった。この旅行の一部やOB会の写真の中にも彼の笑顔が見える。退任してからも馬喰町駅近くのビルの2階のいつもの店で一緒に飲んで楽しい時間をすごした。
今googleで「訃報 親会社名」で調べると多くの名前が出てくる。元社長で経団連に名を連ねていた人、同じ工場の所長で本社の役員になった人、同じ部で働いていて子会社の社長になった元部長など。
でも彼の個人名を入れたら、技術的な論文、特許などの他に、個人的な文章に名前を見つけた。退職後の会社を離れたまったく別の世界であった。そんなところに知らない人柄を発見した。
時がめぐれば、多くの人との別れがくる。
今、彼との別れ、
ありがとうございました。
合掌
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