先日家族が開業医の医院で倒れて意識を失い、急遽そこから大規模病院に救急車で搬送されるという事態が起こった。5日間ほど検査入院で自宅に戻ってきた。
そしたら今度は静岡より義理の弟の通夜と葬儀の連絡が入り、急遽私だけが静岡に戻ることになった。私より3つ上、妹より「がん」と聞いていたが急にその時がやってきた。「のぞみ」で小倉から名古屋へ、そこから「ひかり」で静岡へ。新幹線車内でも連絡電話が入り、苦痛の4時間だった。そんな時は悪いことばかり考えてしまう。
通夜、葬儀も滞りなく済ますことが出来た。驚いたことは静岡を離れている長男の仕事上での弔電と生花の多さ。全てビジネス。精進落としは用宗の漁港近く。料理の中に生シラスが出てきた。久しぶりに味わう。他には金目の煮付けと焼津のまぐろ。
妹の二人の子供は独立しているので、残ったのは妹と施設に入所している95歳の義理の母との二人だけとなった。ささやかなお礼の席の後、帰り際に、妹に頑張れ・・と口では言うが複雑であった。
葬儀が終わったら今度は自宅から電話、先の検査の結果、手術を2日後に行うとのこと。
「簡単だから・・」と言う説明を受けたが心配ばかり。
家に帰ってから、母の葬儀以来の墓参り。墓標に父母の名、本家から分家したから明治時代の日付けと先祖の名。感情が高まり、声も上ずり、涙が出てくる。自分でも老いたな・・と思う。
静岡より戻る朝、近所のセブンイレブンでコーヒーを買って、持ちながら久しぶりの家の近所の散歩。川沿いの整備された遊歩道、サイクリングロードは子供の頃の土手。もう60年も前のこと。
近くにあった小さな水神様の祠。水神様とは知らないかったが、子供の頃田んぼの中に少しだけ高く土が盛られていた。左手に川が流れ、鳥居の左後には松ノ木があった。小学校の低学年に遊んでいた場所。今、川は暗渠になり、松はなくなり、移動したのか区画整理の後か、個人の家の隅にあった。
静岡での新幹線の時間待ちとお土産の購入時に静岡駅の外に出て食事。これは駿府城の石垣。夜行列車で静岡を離れる夜、友人と登っていた場所。あれも50年前の3月。
お土産はわさび漬け、丸子紅茶、抹茶、お茶は「やぶきた」とありきたりのもの。
私の故郷は葬儀の時に帰る町となってしまった。
夜8時過ぎ自宅に戻ってきたが、それでも明日はまた新しい苦痛が待っている。
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