暇に任せて一人で萩往還のウオーキングに出掛けた。一度に全区間は時間的に無理なので、手始めに佐々並から明木(あきらぎ)までを予定して家を出た。中国道、小郡ー萩道路で絵堂へ、そして角力場(すもうば)へ。1時間半もかからずに着いたが、雨に降られた。明木に車を置いて、バスで佐々並まで、そこから萩往還を歩いて明木までの3時間半の予定であったが、バスの時間まで2時間もあり、その上雨であったので、右折して佐々並に向かい佐々並の道の駅「あさひ」に車を置いた。
日差しがありながら黒い雨雲が見えたが、9時に佐々並を出発、調子が良すぎて明木まで2時間10分ほど。バス待ち時間がありすぎるので、萩に向かって歩き始める。途中県道32号沿いの道の駅「萩往還」でのんびりして、バスで帰ろうかと思ったが、バス停がない。聞けば特急は通過。普通は道が違うとの事で結局萩駅まで歩いてしまう。萩駅着13時10分。結局4時間ほど歩いてしまった。そして、この行程中、ウオーキングしている人には誰にも出会わなかった。歩く途中でバスや電車で逃げ口がないと言うことは、健脚でないと歩けない場所と判断されるてしまう。
この写真は今回の萩往還のメイン目的、杉木立の中の一升谷の石畳。綺麗に整備された石畳道で両側の側溝も整備されていた。今回も雨で滑りやすいようだが見た目ほどではなかった。
佐々並から釿切(ちょうのぎり)までの道は千持峠、中ノ峠とあるがたいしたこともなく、日差しもあり
快適な道。所々に猪よけの金網のゲートがあり、自分で開けて通過し、すぐ閉めて置くシステムになっている。国道を横断した七賢堂の展望台から山すその道は路傍の陽だまりに咲いた鶏頭の花を見たり、キバナコスモスに戯れるアカタテハの写真を撮りながら進む楽しい道。釿切で国道をトンネルで潜ると登り道、五文蔵峠の登りだそうです。やがて頂上から下り始めるとこれが一升谷の石畳。谷沿いの暗い湿った石畳である上に雨に降られたが、時々沢蟹と出会ったりした。
急ではないが長い下りを歩き続ければやがて明木に到着。時間は11時ちょっとすぎ。バスは2時なのでそのまま歩き続ける。明木川のほとりに吉田松陰の石碑を見つけた。江戸より萩に護送された時の詩とのこと。
少年有所志 少年志すところあり
題柱学馬卿 柱に題して馬卿を学ぶ
今日檻輿返 今日檻輿の返
是吾晝錦行 是れ吾晝錦の行
少年の頃、この明木橋において志を書いたことがあるが、今こうして檻に入れられて返されてきて、故郷に錦を飾って帰る思いである。
やがて山に向かうと鹿背隧道(かせずいどう)との分岐になる。このトンネルは明治19年完成という。私の故郷の東海道のトンネルは明治9年の日本で初めて有料のだった。
隧道が完成する前の萩往還はこの手前の石段をあがる。これが最後の峠道。この青い標識が随所に配置されており道を見失うことは殆どない。
峠道の下りは杉林の中の整備された山道。整備されていいのだが歩幅が合わない。
この道を下ると県道32号に設置された道の駅「萩往還」の一番東側のトンネル出口近くの駐車場に出る。この駐車場への降り口が30センチ、50センチ大きな石の階段で、石の面がやや下に向いているのと、その上雨で湿っていたので、非常に歩きにくく危険だった。
それでも道の駅に着くと、10人の志士が迎えてくれる。これは高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞。
さらにのんびり歩けば、故郷が見える最後の場所で涙を流す・・という涙松の跡の碑がある。
市街地に入ると道がわかりにくく心配になるが、道なりに進めば案内がある。県道に出会って横断し、山陰線を跨線橋で渡れば左手に萩駅が見えた。萩駅は西洋風の建物であるが、萩の中心は東萩駅でここには殆ど人がいない。13時過ぎ無事到着。市内の中心まで行かずにここで終了。
山口行きのJRバスが13時42分発。のんびり時間待ち。山行と同じで帰りのバスが指定されたりすると行程の制御が大変だが今回はうまく接続した。
久しぶりの旧道ウオーキング。10月に岡崎に行こうと思ったのもこれと同じ目的だった。
ここはいいんだけれど全体のどうするかが問題だ。三田尻ー山口、山口ー佐々並になるだろう。残念ながらネット上でも判りやすい案内パンフレットや記録が見つからなかった。特にウオーキングを目的とした区間の時間表示が殆どなかった。東海道散策マップ並みのものがあればどれだけ助かるだろうか。私も東海道の時と同じく写真のexief時間を元に記録も出来るが今回は面倒なのでやらない。
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